2017年4月24日発売『AERA』にて、だいすけお兄さんこと横山だいすけさんのインタビューが掲載されました。
だいすけお兄さんが9年間、どんな思いでカメラの前やステージに立ち、これからどこを目指していくのかをお兄さんの元に届いた手紙をもとに質問。
AERAだけに語った内容とは・・・。
※近くに書店がなくAERAが購入できなかった、探したけど完売でみつからなかったという方のために書きました。
ここから先はネタバレになりますので、これから雑誌を読むことを楽しみにしている方はまわれ右でお願い致します。
目次
【AERA×だいすけお兄さんインタビュー】
うたのお兄さんを9年間務め、今どんな気持ちか?
幼いころからの夢だった“うたのお兄さん”を大きな怪我もなく全力で走り終えることができホッとしている。
終わってからいろんな声をかけていただいたり、一緒にやってきた方たちとゆっくり話したりして番組が世の中の人たちにどれだけ愛されてきたかを改めて感じた。
現役時代にたくみお姉さんと決めていたこととは?
1年目から常に“新鮮”であることを大切にしてきたお兄さんは、プロデューサーに言われた「番組をみるのもコンサートに来るのもその子にとって1回きりかもしれないし、最後かもしれない。だからこそ常にフレッシュな気持ちで取り組んでもらいたい」という言葉を三谷たくみお姉さんと大事にしていこうと話していたそうです。
だいすけお兄さんのご家族とのお話
父親・・・「やりたいことをやりなさい」と応援してくれていた
母親・・・3、4歳のころに映画「青きドナウ」を見せてくれたことがきっかけで歌うことが好きになる。その後もディズニーの音楽をたくさん聞かせてくれ、エレクトーンやピアノを習わせてくれた。
両親が楽しい思い出をつくることを大切にしてくれたことが、この世界へ入ることに大きな影響を与えたようです。
〈「青きドナウ」とは?〉
ウォルト・ディズニーがウィーン少年合唱団の演奏会を聴き、この少年合唱団の映画を制作しようと考えて作られた映画です。
だいすけお兄さんが1番つらかったことは?
東日本大震災の年に喉にポリープができてしまい声が出なくなってしまったことが1番つらかったそうです。
特番で東北に行き、うたのお兄さんとしてのあり方も変わっていったときに自分の気持ちをしっかりと持たなきゃと感じていた矢先のポリープ。
立ち止まることも出来ず、どうやって声が出づらいことを悟られないように歌うかを悩んでいたそうです。
最終的に自然治癒されたそうですが歌えないことが何よりもつらく、自分のいる意味はなんだろうと感じてしまったそうです。
それでも、子どもたちや親御さんたちから頂いたお手紙や絵を見ると、どんな辛いことがあっても自分たちがやっていることはちゃんとテレビの向こうの人に届いていると感じて、また頑張れたそうです。
今後の活動は?
9年間子どもの歌を歌っていたことが何よりも幸せだというお兄さんは、番組から離れても一生子どもの歌を届ける存在でありたいそうで、“こどもと芸術”、“子どもと音楽”をもっと近づける何かができたらいいなぁと思っているそうです。
だいすけお兄さん、実は歌が得意ではなかった・・・?
もともと歌がうまいとか、秀でていたわけではなかったそうで、音楽の成績は「楽しく歌ってるね」という温情評価。
独唱は別の子だったし、大学の時に応募したコンクールも予選落ち。
特別なものは何もなくて本当に好きっていう気持ちだけが続いていて、それを周りが支えてくれたそうです。
最後に・・・
だいすけお兄さんが子どもやママたちからこんなに人気なのは歌声がいいからだけではなく、人柄だと思います!
子どもたちとの接し方、のびやかで心のこもった優しい歌声、夢を諦めない強い気持ち、かと思いきや三枚目のキャラクターに全力で挑む姿勢!
だいすけお兄さんの代名詞でもある“変顔”を「楽しいんです」と答えていたお兄さん。
お兄さんの変顔がまたどこかで見たいですね^^